【機動戦士Zガンダム 名台詞集】クワトロ・バジーナ「これが若さか」他

赤い彗星と呼ばれた者の歩む途―

ガンダム フチ子 クワトロ シャア

1985年に放送された『機動戦士Zガンダム』は、

1980年1月に放送を終了した『機動戦士ガンダム』の直接の続編として制作された番組。

『ガンダム』から『Z』までの5年間にアニメ界の状況も変化して行き、

特にTVアニメを見て育った若手の参加が著しく目立った頃でもあります。

 

『Zガンダム』は、そんな様々な世代のスタッフが混在する中で作られます。

そして出来上がった物は『ガンダム』で見られた熱い描写を古臭いとして排除した物でした。

直接の続編でありながら、「陽」と「陰」とも呼べる両極端な作風の違い。

 

冷徹な世界観、歪な人間関係、なまじキャラクター描写に注力する為に増す生々しさ。

ここでは、その生々しさから発せられるキャラクターの言葉を取り上げて

『機動戦士Zガンダム』の一端について語ってみましょう。

 

『機動戦士Zガンダム』ストーリー

宇宙移民(スペースノイド)の独立を求めて、

スペースコロニー・サイド3がジオン公国を名乗り地球連邦に仕掛けた戦争が終結してから、

七年が経過した宇宙世紀0087。

勝利した地球連邦政府は地球及び地球圏、

そしてスペースノイド達へのより強固な支配を狙う為、私兵集団ティターンズを結成。

 

権力を盾に傍若無人に振る舞うティターンズに対抗する為に結成された反連邦組織エゥーゴは、

その暴挙を止める為に行動していた。

その二つの勢力に新たに参戦するジオン軍残党のアクシズ軍。

この三つどもえの様相が、宇宙に新たな刻の涙を流させる事となる・・・。

 

クワトロ・バジーナ

『機動戦士ガンダム』に於いてシャア・アズナブルを名乗り行動していた男。

父の仇であるジオン公国を指揮していたザビ家を討ち果たした彼の心は七年経った現在、

まだ迷いの時を重ねていた。

そんな彼の口から洩れる言葉は、ある種の諦観を含んでいる様でもあった・・・。

 

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「これが若さか・・・・」

『Zガンダム』を語る時に、どうしても外せないのがこのセリフ。

あの多感情少年カミーユ・ビダンに自分の大人としての都合(=真意)を敢えて語らず、

いい様に殴られる。

その素直な感情表現が出来る少年の若さを羨ましく思って、彼は涙を流したのでしょうか。

あるいは、その若さゆえの未熟さを哀れんで泣いたのかも・・・。

 

「今日の都合で魂を売った人々の決定などは、明日にも崩れるものさ」

決定と言うのを「思い」と言うならば、その名の通り「重い」物であって欲しい物。

しかし、朝令暮改などと言うのは悲しいけれど社会ではザラにある事です。

それをふざけていると憤る若さに対して、諭すように語るのも又大人(?)の諦観・・・。

 

「出資者は無理難題をおっしゃる」

出資者=スポンサー。・・・ま、まぁ、言わんとしている事は・・・分かります。

クワトロ・バジーナ=シャア・アズナブル=富野由悠季監督ですものねぇ・・・。

曰くクワトロ・バジーナの数々の嘆きは、

そのまま富野監督の作劇・状況への嘆きが出ている物だと思われます。

 

「迷いは自分を殺すことになる。ここは戦場だぞ!」

戦場のみならず、人生の至る所で応用出来るセリフです。

しかし、迷いの中に有る彼がこれを言うとは・・・。

きっと自分を鼓舞する為に言ったのでしょう。例えそれがカラ元気だとしても。

 

「せめて私の手でその業を払わせてもらう!!」

流されて来た自分に依って、混沌と化した状況となってしまった責任。

それを清算するには他人に任せず、自分で行う。

・・・平気で責任逃れをする厚顔無恥の輩が多い中では、この決意は立派ですが、

こんな当たり前の事を口に出して言わなければならない

(=我々視聴者に敢えて聞こえる様)と言うのは、

思う以上に相当な覚悟では無かったのではないでしょうか。

 

まとめ

クワトロ・バジーナの数々のセリフについて書いてみました。

こうやって書いてみるだけでも『Zガンダム』は

人間の負の部分を意図的に取り出して書いているなと感じます。

 

人類の希望的進化である筈のニュータイプも、まるで腫物を触るような扱い。

後にシャアが起こす行動の原因は、まさにこの作品に有ったのです。

それは〈人類への絶望〉。

 

推測ですが、富野監督は『Zガンダム』を制作しながら

「それでも希望はある。人間そこまで馬鹿でもあるまい」と思い、

シャア(とアムロ)の決着の話を考えていたのではないでしょうか。

次作『機動戦士ガンダムZZ』でしようとしたが映画製作(1988年)が決定。

(『ZZ』の前期オープニングで、シャアが登場しているのが、その名残)

 

そこで富野監督は劇場用映画『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』を

いわば自らの集大成として「希望」の見える作品として仕上げました。

 

しかし、富野由悠季監督が『ガンダム』と言う重力(呪縛)から解放されるのには、

まだ時間が必要となります―(個人的には『∀GUNDAM(ターンエーガンダム)』が、

その解放の時と思っています)。

 

 

 

ガンダム フチ子 シャアのかっこいい飾り方!

 

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